契約とは?(※)
当サイトは、次のように考えています。
(法の定義とは異なります。私の実務体感から以下に記載する定義としています。法曹の実務からでも、学説上の理論からでも裁判上の実務(判例通説)からでもなく、また企業法務部門の実務からでもありません。私の営業実務体感からこう定義した方が「契約の本来の目的に叶う」と考えるからです。法に背く意図はありません。法の趣旨(私的自治の原則『契約自由の原則』)に則り「協働」という概念によって、「権利」と「義務」の二項対立を超えた新たなる「契約」の世界を拓けると考えるからです。すなわち当然いわゆる「win-win型契約」を意識しています。)
【定義】
自己(以降「内部」と言換える場合があります。)と自己以外(以降「外部」と言い換える場合があります。)が「目的」実現のために、交わす「取り決め」、および「目的」実現のための「活動」。
(※)一方、通常「契約とは、当事者間の自由な意思によって取り決められた合意であって、債権の発生原因となるものを指す」とあります。(『債権各論Ⅰ上契約総論』(平井宣雄:弘文堂)27ページ)。法的にはこのように定義(例示)されており、静的なものです。一般的には人と人との合意(「約束」)と言われます。
当サイトにおける「契約」は、「取り決め」および「活動」ですから、静的かつ動的なものです。そして、活動をより重視しています。
また、当サイトは「自己との約束」も含めて「契約」と考えています。つまり、実現できていない自己(「未実現の自己」)は未だ「外部」環境であり、「自己実現の活動」(=「外部」環境の「内部」環境化への活動」)も「契約」と考えます。
これを「契約(内部契約)」とします。なぜこう考えるかですが、「ヒト」(「自然人」)にも「組織」(「法人」等団体)にも、共にいえるのですが、激しく変る「外部」環境に適合して「生き続ける」には、「一」(一人、一組織)では、生き続け(勝ち続け)ることが難しいからです。(「おぎゃ」と生まれた赤子は「一」では生き続けられませんし、大人も「他人」との関係なしに「一」では生き続けられません。自己以外の他人(「外部」環境)へ適合しながら「内部」環境化し続けなければ生きられません。一個人も一組織も同様です。
cf.「社会契約」や『社会契約論』(ルソー)における「契約」とは一線を画しています。「社会契約」における「契約」は、「ヒト」と「国家」との「関係のあり方」(「国家の正当性」)を対象としています。
当契約コンサルサイトでは、上に述べたように、そうではありません。それ以前の「ヒト」と「ヒト」との関係のあり方を対象としています。
(尚、「ヒト」には「組織(法人)」も含みます。)
「契約(内部契約)」においては、上にも述べましたように、「外部」環境(脅威やチャンス)に対応して、如何に「内部」環境化するか、その「活動」が「契約」(「ヒト」が生きるとは「契約」活動そのもの)なのですが、その際欠かせないコトがあります。
何のために「内部」環境化するか、つまり「目的」です。
自己(内部)矛盾のない「目的」の下で「内部」環境化(内部適合)を実現し、「外部」環境対応(外部適合)しなければ激変する外部(時代)環境に対応して「生き続け」ることが不可能だからです。
「ヒト」のその「目的」は内部・外部環境に受け入れられるものであり、その活動は「合目的的」でなければならないという点は、「ヒト」の活動には特に重要です。そもそも自然界の個体には目的意識はないのでしょうか?(自然界の個体には身を守る、仲間を守るという意識はあるのでしょうか?あるとしてもそれは本能でしょう。それを本能であるとするならば、皮肉ですが、「ヒト」以上に優れた本能といえるのではないでしょうか。「ヒト」以外の個体(「種」)は、原則として同じ種同士で「殺し合い」はしませんから。したがって、「ヒト」には特に「目的」をどう設定するか、どう意識するかが重要ということになります。)
(「目的なく生きる」という「ヒト」も個人として尊重しなければいけませんが、当サイトでは、ひとまず、対象から外しています。)
他方、「契約(外部契約)」があり、通常この場合は「目的」は様々です。(同一の「目的」を掲げ「契約」する場合もあるでしょう。)冒頭に掲げました(※)通常かつ一般的な解釈や「定義」にしたがって、あるべき姿の「契約(外部契約)」を模索します。昨今「win-win関係」構築の「契約」といわれることがあります。
当サイトは、「契約とは?」を以上のように考えています。そして「契約(内部契約)」活動が「契約(外部契約)」の前提として重要になってくるのではないだろうか?
すなわち「目的」を共有化した「外部」環境適合化のための「活動」(「協働」活動)、それは実は「内部」環境適合化活動であり、かつ「外部」環境適合化活動でもあるのです。
これをイメージ図としますと、
「プロセスとしての契約」(「協働」の関係としての契約)となります。今一度ご高覧ください。(この図は、今後何度も登場します。)