「契約観念の違い」について


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『民法改正』(内田貴 ちくま新書)の第5章「契約観念の違い」(p143~)において、内田先生は次のように記載しています。

「このような批判が出たことを、私自身は、ひとりの学者として非常に興味深く感じました。「契約で引き受けていたか」という言葉を、実務家は、「契約書に書かれていたか」という意味で理解したのです。つまり、実務家にとって、「契約」という言葉は、まず契約書を連想させたのです。」

私も現場実務を担った1企業のひとりの営業マンであり、また営業マンを指導する立場であった者として興味深く読ませていただきました。そしてこう感じました。

内田先生の実務家とは、「企業の法務部であり、実務界とは企業の法務部の代表ではないか?」という思いです。

お客様と直に接する現場営業は、決してそのようには理解しません。お客様におかれても、「契約で引き受けていたか」を「契約書に書かれていたか」とは理解されていないでしょう。

「当社の契約書、(本社<法務部>から送られてきましたから、)ご検討いただきまして、ご捺印をお願いします。」これが、多くの契約締結現場の実態ではないでしょうか。(もちろん、営業マン自身が契約書の内容を理解し説明し、あるいは法務部員が契約現場に同行して説明して、というケースもあるでしょうが、それはむしろ少数でしょう。まして、多くの中小企業は法務部を擁していません。なお、法務部員が契約締結現場で「契約書」の説明をしても、それが「契約」の内容をどこまで忠実に反映(包含)し得るかはなはだ疑問とするところです。)

なぜこのようなギャップが存在するかですが、大方のご推察のように、契約書が専門家以外に理解できないものだからです。あるいは、そのように扱われてしまっているからです。
(より正確に言えば、理解できないものでもないが、自分が作ったものではないし、より重要なのは自分が提案した提案(書)である。また、「契約書で実務が廻っているわけではない。形式的なものである。」との意識に拠っているからです。もちろん100%ではありません。法務部(相互の弁護士)同士が膝付け合せ仔細にわたり条項化する場合もあるでしょう。しかし、それは大企業のごく一部でしょう。)

「ユーザーフレンドリーで明快なテキスト
委員会は、専門家グループに対して、簡潔であるばかりではなく、言語においても構造においてもユーザーフレンドリーで、必ずしも契約法の専門家ではないであろう企業や消費者に、理解できかつ利用できるようなテキストを工夫するよう求めた。」欧州委員会 専門家グループ)(P118)であります。

これが正しい対応の方向だと思います。改正案がそうであって欲しいと真に望む次第です。
そうなれば(平易に理解でき利用できるようになれば)、提案内容に沿った契約書づくりが、契約締結現場で(営業マンがお客様との間で)やり取りするという場面がイメージできます。

道具が日常的に平易に使えるということ。そして、現場実務を最も理解している者たちで責任をもって決めるということが重要です。民主主義の原点でもあります。(もちろんチェックの目は必要。)

また、このような場面をとおして、ウィーン条約79条でいうところ(債務不履行責任に関する免責事由)を乗越えて、如何に想定され得るリスクがあるかを協働作業で洗い出し、そのリスクをどちらが負担すべきか、その費用はどちらが持つべきか等の協議も可能となってくるでしょう。) 【契約書作成実務を現場へ!】

これが、「共同(協働)の関係としての契約の目指すべきところではないでしょうか!
この民法の基本理念である「平等の視点<共同ないし共生>」は信義則、公序良俗・不当条項規制に具体化されているとして、あるいは「自由」に本質的に備わっている内在的制約であり、明文化は見送られていますが、日本の民法に明文化することにより先進的なプラットフォームとして世界に発信する意義があるのではないでしょうか。
また、この「共同(協働)」の視点は「信義則や公序良俗」からは出てくるものではなく、より積極的な思考枠組みの提供を必要とするものであり、「市民のための民法とするならば、明文化することにより思考が定着し、行動として定着するのではないでしょうか。検討委員会はあまりに学理的に過ぎる。」と思うのは私だけでしょうか?

事実認識において、「契約現場の実態」及び「市民の意識レベルの実態」(「自由に本質的に備わっている内在的なもの」として市民の意識として「協働」は出てこないでしょう)に学理と市民(意識実態)間に相当のギャップが存在していると思われます。

私としましては、これから、随時 要綱案を読み込み、特に中小企業者さまへ「民法改正に向けて如何に契約書の準備を進めるか」につき、自由に内在する「協働」を如何に実現するかをテーマに提案づくりを進めてまいります。(内在を関係する当事者の前に明示することによってはじめて、相互に思考し、行動することが出来るのだと考えます。そして共通目的化することによって「協働」は実現できるのです。

なお様々な方々が『民法改正』(内田貴 ちくま新書)へ読後感想を寄せておられます。 ご参考にリンクします。

私も多くの方々と同感です。多くの市民が読んでみるべき価値ある書籍です。
改正は今回だけではありません。次回、次々回の改正のためにも、改正に向けた基本書となり得ると考えています。「契約観念」のギャップの原因を知ることがまず必要と思われます。
また、どのように改正されようとも、法改正は常に後追いである宿命から逃れられないでしょうから、われわれ実務の現場では、与えられたツールを如何に積極的に駆使して「現場実務のために」【効果】あるものにするか、すなわち、お互いの事業計画実現に活用するかを思考し行動に結び付けていかなければなりませんその意味で「法」は手段なのです。

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