文化と文明について-2016年8月6日にふと想うー


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文化は「土壌」であり、文明は「技術」だというのが私の想いです。

「土壌」は「基礎」とか「土台」と言い換えることもできますが、そこには「多くの人々の日常生活から生み出され、選び抜かれ連結された結合」という確固とした強さをイメージすることができます。

他方の「技術」は「土木技術」とか「灌漑技術」等、「土壌という土台」があってこそ活かされるはずのもの、すなわち「土壌に咲く技術文明」というイメージをすることができる一方で、近代科学技術は、「土壌」を離れて開発されることとなったが故に、多くの不幸をも生み出す結果に繋がっているのではないかとのイメージをも持つことができます。

原子力開発を例にとれば分かりやすいでしょう。
自国の「土壌」内で活かそうとすれば、電力事業に活かすことが出来ますが、そうではない場合は、大量破壊兵器となります。(正確には、「大量破壊兵器になり得てしまいます。」’160915補足)

「土壌」にはその上に直接に、多くの人々が暮らしています。「技術」にはそのようなことがありません。(技術が生み出すモノやサービスに依存して生活する社会となっていますが、「土壌」に依存する性質とは根本的に異なります。’160915補足)

期せずして、8月6日 71回目の暑い夏がめぐってきたその同じ8月6日ブラジルリオのオリンピックの開会が宣言されました。
開会式、選手ひとりひとりが一つの種を共通の箱に植え付けました。

(種は「土壌」に花咲きます。同じ意味で、「土壌」に花咲き、人々の生活に有益に寄与し、幸福をもたらすに不可欠な「技術」を追い求めるべきでありましょう。ここでいう技術とは自然科学技術に限りません。社会科学技術も当然に含んでおり、むしろこれからの時代には後者がより重要ではないかと思考しています。)

こういう一つ一つの活動が重要です。リオオリンピックが無事に閉会され、このような活動(理念)と行動が、2020年東京オリンピックに引き継がれることを期待し、わが事業も連帯し活動していきたいと考えております。

  アーク総合 代表 原田 豊

 

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