「弁証法的 自己止揚」について

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「契約」との関係:

「内部契約」で「人の関係性」に二面性があるとし、「協働の関係として」「契約の関係として」としました。そして【補足】として、「弁証法 自己止揚として」と若干の解説をしています。

これにつきまして、もう少し私の考えるところを述べたいと思います。
もちろん人間には他の多くの関係性もあります。感情の動物でもあり、多様な人種もあります。したがって多元な価値観が存在します。にも関らず敢えて「二面性」としたのは、当サイトがテーマを「契約@ARK」としているからです。

そして契約を「契約とは?」で述べたように定義しているからであり、目的なく生きる人をとりあえず本サイトの対象外に置いています。(これらの対象外の人とて個人として尊重しなければならないことは言うまでもありません。)

したがって、ここではどういう「目的」に向って「活動するか」が、大前提として問われなければならないことになります。

私は、このように考えて「理念」、「行動規範」を設定し、「行動指針」に基づき行動します。

ここにも記載していますが、目的を実現する方法として、「弁証法的 自己止揚」があります。ここでいう自己には「個人」も「法人」も当てはまります。

「テーゼ」(「定立」):事物の最初の状態(現在あるがままの実態)。
「アンチテーゼ」(反定立」):反対意見、対立物。
「アウフヘーベン」(止揚」):矛盾する2概念(「定立」と「反定立」)をより高次 な段階で統一すること。

目的をもち「内部環境適応」「外部環境適応」しようとする「人」「法人」を当サイトの対象としており、弁証法でいう「定立」を「現状あるがまま」受け入れることが前提であり、

その「現状あるがまま」に対する反対物、反対意見(「反定立」)をどう「止揚」するかが、「弁証法的 自己止揚」となります。 自己には「国家」も当てはまるでしょう。

こう考えると、「定立」(現在あるがままの実態)を否定する行為や言動は、自らを否定することになります。

したがってトランプ政権が、「現状国内に居る移民」を排除の対象から外すとする方針転換を図ったのは当然のなりゆきと思います。「定立」を肯定することから始め、「反定立」をどう統合するかが、「弁証法的 自己止揚」です。

しかしながら、「定立」の中に「目的」との不整合を内在している場合、それをどうするかも「弁証法的 自己止揚」し、統合していかなければなりません。それが「内部契約」の課題です。

これは、一個の人としても普遍の真理であり、わが人生においても然り、事業運営においても、国家においても然りであります。すなわち、目的を共有化した「内部環境対応」(「内部契約」)の命題であり、「自己統合」です。

このことは、「協働の関係」「契約の関係」にも底辺に共通に求められる思考法であると考えられます。
すなわち、「共通の目的」を持った者同士が、止揚できるのであって、そうではない者との「協働の関係」「契約関係」は成立し得ません。したがって、「協働の関係」を築き「契約関係」に至るためには「内部」の定義が不可欠であり、行動の初めに前提として確認されるべきであると考えています。

「この目的に向って進むが協力してくれるか、協働してくれるか?」との確認です。これは畢竟、「契約」(「内部契約」)ということです。人が国家との間で交わす契約をルソーは『社会契約論』で述べている。これは当サイトの対象外としました。

【一所見】
政治の世界は、多数決の論理で廻りますから、「弁証法的」ではありません。しかし、そろそろ人類は「多数決の論理」を超克する論理を構築すべきときであると思われます。
(そもそも民主主義とは、多数がおごらず少数を尊重するという「弁証法的」な考え方であったと小学生時代に学んだ記憶が甦ってくるのですが、・・・古くて新しい問題です。)

「協働の契約」が「協働主義」とでも言えるものとなり、それが民主主義を超えるものになり得るか、このテーマが現在のところ私にとっての「反定立」であると考えています。
実は、これも古くて新しい課題なのです。私にとっても多くの企業人にとっても。
何故ならば「働き方改革」がようやく堵に付いたばかりであります。)
【上のリンクは私原田が初回作成した拙いサイトです。近く、サイト構成修正していと考えていますが、お見苦しいところをご覧頂きあり難く感謝いたします。】

 

 

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